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【読了】「他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』

今回はこちらの書籍の感想文。

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング)

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング)

 

 

要約

私たちの社会はさまざまな問題を抱えていて、そのほとんどは「適応課題」といえる。

ハ ーバ ード ・ケネディ ・スク ールで 2 5年間リ ーダ ーシップ論の教鞭をとり 、 「最も影響を受けた授業 」に選ばれ続け 、 I B M 、マイクロソフト 、マッキンゼ ー 、世界銀行などのアドバイザ ーも務めるロナルド ・ハイフェッツ 。彼は 、既存の方法で解決できる問題のことを 「技術的問題 」 ( t e c h n i c a l p r o b l e m ) 、既存の方法で一方的に解決ができない複雑で困難な問題のことを 「適応課題 」 ( a d a p t i v e c h a l l e n g e )と定義しました 。

 

本書では適応課題を解く鍵、「対話」について語られる。

見えない問題 、向き合うのが難しい問題 、技術で一方的に解決ができない問題である 「適応課題 」をいかに解くか──それが 、本書でお伝えする 「対話 」です 。

「対話」とはおしゃべりではなく、新しい関係性を構築すること。

対話とは 、一言で言うと 「新しい関係性を構築すること 」です 。これは哲学者のマルティン ・ブ ーバ ーやミハイル ・バフチンらが用いた 「対話主義 」や 「対話概念 」と呼ばれるものに根ざしています 。

関係性には大きく2つの分類がある。

哲学者のマルティン ・ブ ーバ ーは 、人間同士の関係性を大きく 2つに分類しました 。ひとつは 「私とそれ 」の関係性であり 、もうひとつは 「私とあなた 」の関係性です 。

そして、適応課題には4タイプがある。

1つ目の 「ギャップ型 」は 、大切にしている 「価値観 」と実際の 「行動 」にギャップが生じるケ ースです 。

2つ目の 「対立型 」は 、互いの 「コミットメント 」が対立するケ ースです 。

3つ目の 「抑圧型 」は 、 「言いにくいことを言わない 」ケ ースです 。 

4つ目の 「回避型 」は 、痛みや恐れを伴う本質的な問題を回避するために 、逃げたり別の行動にすり替えたりするケ ースです 。

これらのような適応課題が見出された時、

私たちは「私とそれ」の関係性を改める必要がある。

そこで変える必要があるのは「ナラティブ」。

その一歩目として 、相手を変えるのではなく 、こちら側が少し変わる必要があります 。そうでないと 、そもそも背後にある問題に気がつけず 、新しい関係性を構築できないからです 。しかし 、 「こちら側 」の何が変わる必要があるのでしょうか 。それはナラティヴです 。 「ナラティヴ ( n a r r a t i v e ) 」とは物語 、つまりその語りを生み出す 「解釈の枠組み 」のことです 。

ナラティヴは 、私たちがビジネスをする上では 、 「専門性 」や 「職業倫理 」 、 「組織文化 」などに基づいた解釈が典型的かもしれません 。

例で言うと「医者と患者」、「上司と部下」の関係性にはそれぞれのナラティブがある。

(IT系の仕事だと「受注者と発注者」「開発と営業」とか?)

どちらのナラティブが正しいか、正しくないかということではない。

ナラティブの間の溝を見つけて「橋をかけていく」のが「対話」。

こちら側のナラティヴに立って相手を見ていると 、相手が間違って見えることがあると思います 。しかし 、相手のナラティヴからすれば 、こちらが間違って見えている 、ということもありえるのです 。こちらのナラティヴとあちらのナラティヴに溝があることを見つけて 、言わば 「溝に橋を架けていくこと 」が対話なのです 。

「溝に橋をかける」には4つのプロセスがある。

1 .準備 「溝に気づく 」相手と自分のナラティヴに溝 (適応課題 )があることに気づく

2 .観察 「溝の向こうを眺める 」相手の言動や状況を見聞きし 、溝の位置や相手のナラティヴを探る

3 .解釈 「溝を渡り橋を設計する 」溝を飛び越えて 、橋が架けられそうな場所や架け方を探る

4 .介入 「溝に橋を架ける 」実際に行動することで 、橋 (新しい関係性 )を築く

準備の段階ではまずナラティブを脇に置いてみる。

脇に置いてみることは 、同時に 、相手のナラティヴと自分のナラティヴの間に溝があることを認めるということを意味してもいます 。つまり 、自分のナラティヴを今までは疑うことなく生きてきたけれど 、それとは違うナラティヴがあるかもしれない 、という可能性をここでは一度受け入れ 、相手にも相手なりに何か事情があるのかな 、見えている景色が違うのかな 、と想像してみることです 。

対話のプロセスは一対一の関係に思えるが、実は関係性に働きかける行為である。

これは哲学者オルテガ ・イ ・ガセットが示した考えで 、個人とは 「個人と個人の環境 」によって作られているということに気付くと 、理解がしやすいでしょう 。つまり 、 「私 」や 「あなた (他者 ) 」とは 、果たして一対一の人間なのか 、ということです 。

つまり 、人はその人の置かれた人間関係や環境にそもそも埋め込まれた作られた存在なのです 。

したがって 、相手をよく観察することは 、相手の埋め込まれている関係性を理解するということを意味します 。

組織における対立構造のひとつとして、「新規事業部」と「既存事業部」の対立といったものがある。

この対立では「総論賛成、各論反対」のような状況になってしまう。

もちろん 、そうした既存事業部の人たちも 、決して会社として新規事業開発をしていくことに反対ではないのです 。しかし 、自分たちの現場は 、厳しい状況に置かれてもいる 。だから 、総論賛成 、各論反対のような状況になってしまいます 。

こうした状況では、以下のようなプロセスが二巡目の対話の鍵となる。

1 .準備 :相手を問題のある存在ではなく 、別のナラティヴの中で意味のある存在として認める

2 .観察 :関わる相手の背後にある課題が何かをよく知る

3 .解釈 :相手にとって意味のある取り組みは何かを考える

4 .介入 :相手の見えていない問題に取り組み 、かゆいところに手が届く存在になる

そして、対立構造の中では自身のナラティブの偏りに向き合うこと。

中立な人間は原理的に考えてもこの世界には存在しません 。誰もがそれぞれのナラティヴを生きているという意味で偏った存在であり 、それは自分もそうだということです 。そうであるならば 、まず自らの偏りを認めなければ 、他者の偏りを受け入れるのは難しいでしょう 。他者の偏りとは 、ナラティヴの隔たりのことです 。それは時に 、自分はよいことをやっていると思っていたが 、もしかしたら 、会社の未来には何も貢献していなかったのかもしれない 、ということに気づくのかもしれません 。

上司と部下の関係では、両者とも以下のようなナラティブに偏ってしまうことがある。

立場の弱い側には 、ひとつ大きな罠があります 。立場が上の人間を悪者にしておきやすい 「弱い立場ゆえの正義のナラティヴ 」に陥っている 、ということです 。立場の弱い側は 、いくらでも人のせいにして 、逃げ道があります 。多くの場合 、まだ若いですから 、うまくいかなくても再起するチャンスがあります 。

マネジメントをする際に気をつけたいのは 、上の立場の人間 、とりわけ経営陣は強力な権力を持っているため 、現場の人たちがいつも素直に自分に話をしてくれることはない 、ということです 。

権力を自覚せずに観察を試みることが観察を失敗させます 。

自らの権力によって 、見たいものが見られない 、という不都合な現実を見ることこそが対話をする上では不可欠なのです 。

そんな中では、上司は部下が仕事のナラティブにおいて主人公になれるように働きかけてあげるようにする。

人が育つというのは 、その人が携わる仕事において主人公になることだと考えます 。

この主人公 、ないし当事者としての側面がうまく構築されていかないと 、いつも頑張っているのに認めてもらえない (他者視点での自分の評価に依拠している ) 、仕事の意味を感じられない (生活のためにつまらない仕事を我慢している ) 、自分が生かされていない (自分のために組織があるという過度な自己意識 )という状態から抜け出せないまま 、悶々として過ごすことになります 。

上司の視点と尺度で 「部下の能力を向上させよう 」というナラティヴを一度脇に置くことが大切なのではないでしょうか 。一度脇に置いた上で 、対話のプロセスを大切にしながら 、部下が仕事のナラティヴにおいて主人公になれるように助けるのが上司の役割なのではないでしょうか 。

対話の中では以下のような罠に陥ることがある。

①気づくと迎合になっている

②相手への押しつけになっている

③相手と馴れ合いになる

④他の集団から孤立する

⑤結果が出ずに徒労感に支配される

迎合にならず、対話に挑むということは「誇り高く生きること」。

対話に挑むことを別な言い方をするならば 、それは組織の中で 「誇り高く生きること 」です 。

私たちは 、何者なのでしょうか 。何のために頑張っているのでしょうか 。そのことを見定めることによって 、私たちは 、困難の前にあって 、常に挫かれ 、改められることが必然である暫定的な理想を掲げ続け 、歩むことができるはずです 。相手を観察し 、対岸に橋を架けることは単なるその一過程に過ぎません 。そのことは目的ではないのです 。誇り高く生きることは 、孤独であることを避けられません 。しかし 、その孤独ゆえに 、他者に迎合するのではなく 、孤独にこそ私たちの理想が刻まれていることを思い返すとよいでしょう 。

そして、信頼できる仲間と取り組むこと。

可能であれば信頼できる仲間とそのことに取り組むのもよいアイデアです 。孤独を大切にするためには 、孤立してはならないからです 。そのためには 、信頼できる仲間が現れるのを待つのではなく 、あなたが他者に信頼されるように働きかけることが大切です 。信頼があって私たちが行動できるのではなく 、私たちの行動があって信頼がそこに芽生えるのだということを忘れないでください 。

「馴れ合い」は抑圧型の適応課題になっていくこととある。

つまり 、この関係性を維持すべく 、言いたいことが言えない 「抑圧型 」の適応課題が生じることを意味します 。これは 、ある意味で 、とてもよい関係が築けたことの裏返しでもあるために 、難しい問題でもあります 。

一度出来上がったものを変えていくには大きな痛みが伴うが、行動を起こさなれければ何も変えられない。

しかしはたと立ち止まると違和感が残ることはあるはずです 。従って 、何かおかしい 、と思う違和感を表出することを恐れないでください 。馴れ合いの結果排除される人が出ていたり 、向き合うべき問題に向き合えていないことに気がついたならば 、それを変えていくための行動を起こさなければ 、何も変わりません 。

一度出来上がったものを変えていくことは 、そうしたものが出来上がるよりも前から作っていくよりも大きな痛みが伴います 。しかし 、その痛みに意味を見出すことができれば 、乗り越えようとする勇気が湧いてくるはずです 。その意味を生み出すもの 、それは 、私たちの理想とすること 、私たちが変えてはならない大切にしたいものなのです 。

自分自身が変わらなければ、変わらない。

あなたが何もしなければ世界は何も変わらない 。何もね 。 U N L E S S s o m e o n e l i k e y o u c a r e s a w h o l e a w f u l l o t , n o t h i n g i s g o i n g t o g e t b e t t e r . I t ’ s n o t . ( D r . S e u s s 『ロラックスおじさんの秘密の種 』 )

 

まとめ

世界を変えるとは、自分自身の世界の見方を変えることだと思う。

それは、他者との関係性を観察することで、自分自身のナラティブに気づき、相手とのナラティブに溝があることを発見し、その溝に橋をかけ、新たな関係性を構築していくことなのだろう。

これまで私はこの本を通じて 、一貫して 「観察せよ 」 、つまり 「見えていないものを見よ 」ということを書き続けてきました 。そして 、他者との間に生じる適応課題の背後には 、 「私たちは見えていないことが何かが見えていない 」 、 「わかっていないことが何かがわかっていない 」という問題があることを述べてきました 。どんなに目を凝らしても 、私たちは自分のナラティヴのために 「見えていないこと 」があります 。それだけに 、自分のナラティヴからは見えていないものを見ようとすることは 、新たな関係性を構築していこうとする上で根本的に重要です 。

直近3本書いてきた読了記事で取り上げた書籍は、すべて組織における関係性に働きかける取り組みについての書籍だった。

 

 

 

 

これらの取り組みすべてが、組織内での適応課題を明らかにしたり解決したりして、新たな関係性を構築していくための取り組みと言える。

ただし、これらの取り組みもただ導入するだけでは意味がなく、まずは組織内のナラティブの溝を発見し、そこに橋をかけていくことを意識しなければ、それぞれの真の効果は得られないだろう。